誰かのためなんて無理でしょ
“あなたのためよ”
という言葉にとてつもない嫌悪感を覚える
この言葉が使われるシチュエーションについて記憶の手綱を引いてみると、相手に自分の要求を受け入れさせるために使われることばかりのように思う。
fuckinsapienceを産んだ人間はよくこのニュアンスの言葉を用いた。
「あなたが世間に出たとき恥ずかしい人間になってほしくて」
あなたのため?
違う
fuckinsapienceから見ると彼女は恥ずかしい人間を育てた人間になりたくなかっただけだ。
その産みの人間の子育ての熱意はすべてそこにそそがれ、それ以外のことに注意がいかなかったようだ
話を聴いてもらえなかった
あなたのため?
fuckinsapienceはただ話がしたかった
一緒に笑っていたかった
そんな、眉にしわ寄せた顔見たくなかった
素直に自分のためだと言ってくれればどれだけ楽だったか。
あなたのためよと言われる度どれだけ心がねじれたか
自分のためだっと言ってくれれば、
その時初めてぶつかれる
fuckinsapienceは自分を守るために闘える
あたのためよなんて言われたらなにも言えないじゃないか
fuckinsapienceももう一応大人だ
サピエンスには対象になにかをしてあげたい情愛みたいなものが存在することは知っているつもりだ
でもそういった情愛でさえ、ホントのホントのところでは自分のためなんだ
なにかをしてあげたい自分がいるだけだから
なにしたってわたしのためのあなたのためだから
あなたのためよなんてせつないから
言わないで